たちばな/プロフィール
●略歴
昭和41年03月 藤島町立八栄島小学校卒業
44年03月 藤島町立藤島中学校卒業
47年03月 山形県立酒田東高等学校卒業
52年03月 私立創価大学法学部卒業
52年04月 公明新聞社入社
53年06月 公明新聞整理部
54年06月 社会部
55年07月 政治部
58年07月 長野通信部
61年09月 報道部
平成03年10月 政治部
12年10月 政治部長
14年04月 報道部長
16年09月 編集局担当局次長
●個人データ
生年月日/昭和28年4月5日
出身地/山形県
身 長/175cm
体 重/81kg
血液型/O型
好きな食べ物………麺類
好きなスポーツ……剣道・野球
好きな作家・本……歴史・時代小説
好きな音楽…………ジャズ
尊敬する人…………周恩来
趣 味………………美術品鑑賞
座右の銘……………誠実
家族構成……………妻、3女、義母
相撲の強い農家の長男
生まれは、山形県・藤島町で、農家の二人兄弟の長男として生まれました。 庄内平野のほぼ中央部に位置する小さな町で、「はえぬき」「どまんなか」など庄内米の産地です。 相撲の盛んな地域で、隣町の櫛引(くしびき)町からは、「柏鵬(かしほう)時代」を 築いた第47代横綱・柏戸(かしわど)関が出ています。私も幼いころから子ども相撲に出場し、 中学生のときには個人優勝したこともあります。
子どもの頃から農作業を手伝う
小学校の頃、毎年冬になると、父は都会の地下鉄工事や山奥のダム工事などに出稼ぎに出ていました。 それだけに、父が帰郷する雪解(ど)けの春が待ち遠しかったことを覚えています。 四季の中で春が一番好きなのは、そうした少年時代の思い出があるからです。 当時の農家の子どもたちのほとんどがそうであったように、私も小学校4年の頃から農作業を手伝いました。 稲刈り、家畜の世話など農家の仕事はひと通り経験しました。
創道部主将として活躍
大学は創立間もない創価大学の法学部3期生として入学しました。 滝山際、大学祭など、折々の場面で創立者の激励をいただくと同時に、学生の生活、 勉学、健康などに細やかな配慮をしてくださる創立者の姿に接することができたことは、 貴重な財産となって命(いのち)にしみ込んでいます。「人々に奉仕する人生でありたい」との思いが芽生えたのも、 創大でのT人間教育Uに触発されたことが大きく影響しているように思います。 一方、クラブ活動では剣道部に所属し、4年のときに主将、また、体育会副委員長として 草創期の創大運動部の土台作りに取り組みました。
剣道と読書の高校時代
中学3年のとき、父と将来について話し合う機会がありました。 父は「これからの農業は大変だ。同じ苦労をさせたくない。 自分の進みたい道を歩め」と言ってくれました。 家業を継ぐの当然と思い込んでいた私は、将来、大学に行くことを視野に入れて考えるようになり、 受験勉強を開始しました。 高校は、自宅から20キロほど離れた酒田市内の高校に進学。 読書と剣道に打ち込んだ時期でもありました。 雪の多い冬季間は通学が大変だったため、酒田市内に下宿しました。 食事は自炊。高校生なのに、スーパーの特売チラシにはいつも目を通していました。
公明新聞記者となる
卒業と同時に公明新聞社に入社しました。 入社後、それまで文章修行らしい経験のなかった 私に、取材の仕方、記事の書き方などを教えてくれたのが公明新聞の先輩であった故・織田拓郎前都議でした。
以来、社会部、長野支局、政治部、報道部と、主にニュース・報道部門に配属され、 地域の中で住民の手足となって闘う地方議員の活躍と苦労を目の当たりにしてきました。 また、国会を舞台に国民生活向上のために闘う公明党の取材を通し、国民が渇望(かつぼう)する 「庶民のための政治」を実現する、公明党の存在と使命の大きさを肌で感じ取ってきました。
雪下ろし、水害の救援に向かう
昭和58年に長野支局に転勤しました。 そのころは雪が多く、長野県北部地域の民家が大雪で埋まったことがありました。 独り暮らしのお年寄り世帯や、男手のいない家は雪下ろしができず、 家が押しつぶされる恐れがあるとの話を伝え聞きました。 そこで、地域の青年有志のボランティアを募って応援に駆けつけ、そうした家々の雪下ろしに汗を流しました。 感謝の言葉が方々から寄せられ、困っている人のお役に立ったときの喜びを味わったことが忘れられません。
また、長野市松代町で堤防が決壊し多くの住宅が浸水したことがありました。 そのときも現地に駆けつけ、地元の消防団員らと腰まで水につかりながら住民の安否を確認して回りました。 身動きの取れなくなった住民から、「よく来てくれた」と感謝された言葉は、今も記憶に鮮明に残っています。 記者としての取材活動以外にも貴重な経験を数多く積むことのできた支局時代でした
対話を原点に大衆と共に
公明党は第5回党全国大会(2004年10月31日開催)で、 「大衆とともに」との立党精神を不変の原点として堅持することを改めて確認しました。 突き詰めれば、一人を徹底的に大事にする「庶民のための政治」です。 私のモットーは『対話』です。多くの方たちと対話を進めることにより、住みよい東京、 住んでよかったと言われる板橋をつくっていきます。 政治の発想、具体的施策(しさく)の原点を「生活者の目線」に合わせ、 さまざまな課題に真正面から取り組んでいく決意です。
国会を取材し政治を知る
国会担当記者・デスクとして、ここ十数年の政治の激動期に身を置くことができたことは、 貴重な財産となりました。また、「政治改革」「日本の国際貢献」「政治と宗教」 「税金のムダ遣(づか)い排除」など、公明新聞のキャンペーン企画も数多く担当しました。 こうした記者活動を通し、庶民を苦しめる政治悪や不道理と徹底して闘う使命を 担(にな)っているのが公明党であることを生命(いのち)にしみ込ませました。 政策の立案にしても、机上(きじょう)の空論ではなく、現場主義と一人の声を大切にした公明党の 政策こそが、庶民の求める政治であることを実感しました。
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